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成安の歴史

学校法人京都成安学園 建学の精神「成安?誠と熱?実践教育」

京都成安学園の歴史は、大正9(1920)年7月17日、学祖 瀬尾チカが成安裁縫学校の設立を京都府知事から認可されたときから始まります。

京都成安学園では、学園名だけでなく成安裁縫学校以来これまで設置してきたすべての学校名に成安という言葉を冠してきました。 設立当時は「心身ノ鍛錬、誠実勤勉ノ美徳、経済的ニ独立シ得ル実力ノ養成ニ努メ、内ニ在リテハ則チ家庭ノ主婦トシテ、良妻トナリ賢母トナリテ、 家ヲ治メテソノ繁栄ヲ計リ、出デテハ則チ国家ノ良民トシテ、国運ノ進展ニ寄与シ得ル新時代ノ婦人ヲ養成スル」ことを目的としていたことから、 それらを要約し「成安」と名付けました。時代の変遷に伴い、現在では「成安」について「成とは成し遂げること。安とは安寧であること。 つまり成安とは人の和を大切に、一人ひとりが自己の使命を追求し、全うし続けることを通じて、心安らぐ平和な社会をつくることに貢献するという意味である。」 と解釈しています。

学祖は、学習と実行の上には、事の大小にかかわらず、誠と熱とをもって終始するよう毎日の生活を鞭撻しており、これが学園の指導精神であること、 そして、正しい信念からほとばしり出る純真な誠とすべてのものを生かし得る熱をもって生徒に対して範を示さなければ、学校教育において「成安」という 言葉が意味するところの目的を達することはできないと説いています。学祖の人生訓でもある「誠と熱」、誠実さと熱意と置き換えても良いこの言葉は、 学園の建学の精神であるとともに校訓として、学園に関わる全ての者の歩むべき道筋を照らしています。

設立当時の成安裁縫学校の校則第1条には「本校ハ時代ノ進歩ニ伴ヒ最モ新ラシキ和洋裁縫及ビ実用的手芸ノ一般ヲ教授シ併テ自活学習ノ便ヲ与エ兼テ婦徳涵養ニ資スルヲ以テ目的トス」と謳われており、 女性に自活できる能力を修得させることが学校設立の趣旨でありました。こうした女性の社会的?経済的地位を向上しようとする先進的な取り組みは、 瀬尾チカの体験に裏付けられた確固たる信念に基づくものでした。以来、社会で役立つ知識や技能を修得させる教育、すなわち「実践教育」は本学園における学校づくりの基本的な考え方となっています。

沿革

1993年(平成5年) 学校法人名を京都成安学園に改称、必威体育開学
必威体育初代学長に井筒與兵衛就任、成安造形短期大学に改称
1996年(平成8年) 必威体育第2代学長に田邉徹就任
1997年(平成9年) 必威体育第1期生卒業
2000年(平成12年) 京都成安中学校?京都成安高等学校に改称
必威体育第3代学長に木村至宏就任
2002年(平成14年) 成安造形短期大学の設置者変更
2007年(平成19年) 京都成安中学校、京都成安高等学校の設置者変更
2008年(平成20年) 必威体育附属近江学研究所を開設
2009年(平成21年) 必威体育第4代学長に牛尾郁夫就任
2010年(平成22年) 必威体育芸術学部芸術学科に改組
学園創立90周年
必威体育【キャンパスが美術館】を開館
2013年(平成25年) 必威体育 開学20周年
2015年(平成27年) 必威体育第5代学長に岡田修二就任
2020年(必威体育2年) 学園創立100周年
2021年(必威体育3年) 必威体育第6代学長に小嵜善通就任
未来社会デザイン共創機構を開設
2023年(必威体育5年) 必威体育 開学30周年
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